〜埼玉の「記憶に留めたい遺産」を絵に描いて残す〜
グループ学習2班
平林寺_新座(田口) ★喜多院_川越(田口) 氷川神社_大宮(田中) 寺坂棚田_横瀬(田中) ★足袋蔵_行田(田中)
建物と綺麗な紅葉を心に残したい 五百羅さんの表情から自分の心を写し将来に繋げたい 古より氷川神社の姿を映し出してきた神池は、数知れない人々の姿も… 苦労して開墾した傾斜地の棚田、美しい風景は副産物か 近代化遺産として今も生き続ける時田蔵(足袋蔵)
栃本集落_大滝(田中) 平林寺山門_新座(田辺) ★多宝塔_新座(田辺) 足袋と暮らしの博物館_行田(田村) 忍城_行田(田村)
若者の去った栃本集落、建物にはたくさんの文化の薫りが残されている
平林寺山門(白黒の建物、上部に紅葉の木)1664年建立 木造茅葺 上層に十六羅漢像を安置県の有形文化財に指定されている
喜多院多宝塔(白黒の建物、右側に三本の木)高さ13m 本瓦葺 釈迦・多宝如来を安置県の文化財に指定されている
行田の足袋産業は、江戸時代から戦後昭和30年代(靴と靴下生活の始まりまで当時、北日本の8割を賄っていたと言われています。 「足袋と暮らしの博物館」は元は牧野商店の足袋工場で2005年から工場の面影を残し博物館として、展示物や元足袋職人さんの実演などが見学出来る施設です 埼玉にもいくつかの城跡は有るけれど、天主櫓(閣)が有るのは行田の忍城と言われている。豊臣秀吉の関東平定出兵のおり、石田光成の水攻めに遇うも城は沈まず「浮き城」として名を轟かせたという
小林商店_深谷(田村) ★渋沢栄一生家_深谷(田村) 武甲山_横瀬(津田) ★栃本集落_大滝(津田) 平林寺_新座(津田)
 レンガ造りの倉庫は大正元年(1912年)建造で砂糖や乾物の倉庫として使用していた。隣接する建物は昭和2年建造の木造3階建ての洋館で当時の隆盛が偲ばれます。今は、街中でも人通りもなく寂しかったので、若い観光客を添描きしてみました 深谷市血洗島の地にある渋沢栄一の生家を訪ねる。当時(幕末期)渋沢家は養蚕農家と藍玉を取り扱う裕福な家であったそうです。私の描いた建物は、渋沢家の主屋の屋敷外にある福屋と言われている建物で藍玉の取引に使われていた「お店」と呼ばれていた建物である 武甲山・工場の白い煙・寺坂棚田初冬の冷たい寒い一日だった 立派な石垣だった。右手急斜面には隣家と畑があります 平林寺。総門に続く誰もが見上げて通る山門。入母屋造茅葺の楼門
小林商店レンガ造り_深谷(寺本) 氷川神社楼門_大宮(寺本) 氷川神社みこ神楽殿_大宮(寺本) 盆栽町_大宮(寺本) 蔵_行田(寺本)
赤レンガ倉庫のカギが面白かったので イラスト風にしてみました 七五三のお参りの子供たちが沢山通りました 鳥居をくぐった横手にある小さな神楽殿です 盆栽町でみた都会型の送電線の鉄塔で殿で、毎月一日には老神主がお祓いをしてくれます 栗代(くりだい)蔵と呼ばれる足袋蔵です、今は観光案内所になっています
小林商店レンガ造り_深谷(寺本)

渋沢栄一旧宅正門_深谷(寺本)      

★氷川神社神楽殿_大宮(富澤) 昔の民家_(富澤) 氷川神社_大宮(中曽)
赤レンガ倉庫に残る屋根の跡のような線が面白くて、描いてみました 旧渋沢邸「中の家」の門です藥医門と呼ばれる横にくぐり戸がついた造りです お神楽を舞う場所を残してほしい 昔の日本の秋の風景・麦わら屋根の家・稲の穂・干し大根・干し柿のある風景 七五三詣出続く氷川神社参道前にて
栃本集落_大滝(中曽) ★栃本関所_大滝(中曽) 武甲山_横瀬(中曽) ★武甲山_横瀬(藤岡) 栃本の堰_小川(藤岡)
平地の少ない、まさに丘陵地の日本のマチュピチュか? かつて関所として栄えたであろう建物、現在もなかなかの威風堂々さ 良質な石灰岩を有する武甲山、身を削られながらも堂々と棚田と共に美しい 秩父に近づくと大きく姿を現す武甲山は秩父盆地の南側にあり、標高1304m日本二百名山の一つ、北側が石灰岩質で明治期よりセメントの原料として石灰岩の採掘が行われる昭和15年秩父石灰工業が創業し山姿が変貌するほど大規模な採掘が進められている秩父のシンボル武甲山 栃本親水公園は武蔵の小京都和紙のふるさとと呼ばれる小川町を流れる槻川の河川敷を整備した公園で、中には300年以上の歴史のある栃本の堰がある 
時の鐘_大滝(藤岡) 忍城_行田(藤岡) ★氷川神社_大宮(松井) 伏腰の地_白岡(松井) 野火止用水_新座(松井)
小江戸川越のシンボル時の鐘は川越市の中心部幸町の北部蔵造りの街並みに建てられている時計台で市の指定文化財、今から約400年前酒井忠勝創建、城下の頃の面影を残す建造物である 行田市が誇る忍城は関東七名城の一つに数えられる名城であり、中でも天正18年(1590)石田三成率いる豊臣秀吉軍が行った水攻めを耐え抜いたエピソードは のぼうの城等数々の物語の題材になっている 白岡市の見沼代用水は元荒川と立体交差する。見沼代用水の開削当初(1727年)、ここでは水路の幅をニ分して、一方は元荒川の下に潜らせ、もう一方は元荒川の上に水路を架けて通水していた。潜らせた方は柴山伏越と呼ばれ、 元荒川の川底を掘り起こして、木製の樋(パイプ:幅4.2m、高さ1.2m)を埋め込んだ施設だった。 上に架けた水路は掛樋(かけとい:掛渡井)と呼ばれる木製の水路 橋であった 川越藩主となった松平信綱は承応4年(1655)、玉川上水完成の功績により、同上水からの分水が許され野火止用水を開削。近隣の村々を潤すことができたとともに、平林寺の野火止移建が実現することとなった
喜多院多宝塔_川越(松井) 平林寺山門_新座(松井) 平林寺山門_新座(松井) 喜多院五百羅漢_川越(宮下) 平林寺山門1_新座(宮下)
往昔の武蔵野のたたずまい。関東にその名を知られる平林寺は、武蔵野の一角、野火止台地に約13万坪の境内地を有する禅寺です。正式には金鳳山平林禅寺(きんぽうざん へいりんぜんじ)といい、臨済宗妙心寺派の禅刹であり、開発されていく武蔵野にあって往昔のたたずまいを残しています 羅漢さんのユニークな表情が楽しい 紅葉がきれいです
平林寺山門2_新座(宮下) レンガ倉庫_深谷(宮下) ★深谷駅_深谷(宮下) 忠次郎蔵_行田(宮本) 氷川神社楽殿 神楽殿_大宮(宮本)
紅葉がきれいです 赤煉瓦の建物、風情があります 赤煉瓦の駅、見どころあり 以前出掛けた時に入ったお蕎麦屋さんが、蔵だったとは気が付きませんでした。街並みも漠然と見ていては、変化しても分からない、どこかに記録をしておかなければと思いました 氷川神社本殿にはお参りにはいくのですが、途中は素通り。じっくり見ると、いろいろな建物がありました
★武甲山と寺坂棚田_横瀬(宮本) 氷川神社楼門1_大宮(吉沢) 氷川神社楼門2_大宮(吉沢) 見沼代用水_蓮田(吉沢) 観音様_伊奈(吉沢)
武甲山、このまま採り削り続けたら、形は、高さは、どうなるのか、この風景が何時まで残るのだろうか? 桜門 下書 2000年以上の歴史をもつ 大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社 入口に構える楼門 灌漑用のため池であった見沼溜井の代替用水路であった。行田市付近の利根川より取
水 さいたま市南区に到る
観音様として地域に親しまれている
御寺 最近 改築されきれいになった
氷川神社_伊奈(吉沢) 忍城1_行田(吉沢) ★忍城2_行田(吉沢) 農協タンク_菖蒲(吉沢) 渋沢栄一生家_深谷(吉沢)
伊奈町の中央部本町にある。「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱が生まれ6歳まで育ったと云われる
初詣で賑わう
忍城 下書 下絵を基に描く 関東7名城の一つ日本三大水攻めの一つに数えられる 穀物の精米か?製粉か?大きなタンクが印象的だった 近代日本経済の父 の生家
綾瀬川_伊奈(吉沢) 綾瀬川_伊奈(吉沢)) 城址公園裏門_岩槻(吉沢) 盆栽美術館_大宮(吉沢) 氷川神社楼門_大宮(吉田)
下流方向 東北新幹線を眺める  
桶川市小針領家の田園地帯を発し伊奈町 蓮田市の境を流れ草加市 葛飾区中川に流
れ込む
 
上流方向を眺める
川辺はジョギングコースが造られ大勢の人達が歩き 走っている
岩槻城は武蔵國埼玉郡岩槻にあった
岩槻藩の藩庁 江戸時代以前は岩付城とも描かれた。県指定史跡
場内は綺麗に整備され 高価な盆栽が陳列されている。毎日の手入れが大変だろう 
と思われる
格」(ごう)に圧倒される楼門
 
氷川神社神楽殿_大宮(吉田) 旧七ツ梅酒造跡_深谷(吉田) ★栃本集落_大滝(吉田) 忍城鐘楼_行田(吉田) 武甲山と寺坂棚田_横瀬(吉田)
江戸末期の頃、建立の額殿と神楽殿 煉瓦造りの煙突と煉瓦蔵 60戸中40戸は空き家、住民は60歳以上の高齢者の限界集落、現在の住民は20人程度である 梵鐘を吊るす施設で、鐘つき堂、梵鐘堂のほか単に鐘楼とも言う 奥武蔵秩父の名山で年々形が崩され、見るに耐えない。手前の棚田は後世に残したい田園風景である