6G(伊奈全地区)

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与野七福神巡り
伊奈地域会(6G)

6G、昨年は東京谷中の七福神巡りをして、一年を無事に過ごす事が出来ましたので、今年も無事に過ごせるように、与野七福神を好天に恵まれた平成30年1月6日(土)完歩しました。伊奈町から近い事もあり、会員の皆さん、関係するグループ等で巡っているのでしょう、6名(女性1名)の参加で巡ってまいりました。

大宮駅午前10時集合、埼京線、北与野駅午前10時15分に歩き始め、氷川神社、一山神社、天祖神社、御嶽社、円乗院、円福寺、鈴谷大堂と巡り、与野本町に午後12時15分到着、途中道不案内になりましたが、約6Kmの道のりを120分を掛けて完歩しました。いきがい愛の会、会員の皆様が今年1年、無事に過ごせます様に、お賽銭を忘れずに上げてまいりました。

 時計の針も12時を回りお腹と相談、与野本町駅に近いスパゲッティ専門店で大きな器に入った「○○スパゲッティ」でお腹を満たし一息、足も軽やかになり帰路につきました。さて、来年は何処を巡りましょうか。

                         写真・記事 中山副世話人

平成29年8月27日「椋の木」納涼祭ボランティア

伊奈地域会(6G)28年度 事業計画

        東京 谷中七福神巡り     

  伊奈地域会 会員9名(女性2名・男性7名)で好天に恵まれた1月10日(火)巡って来ました。10日に決めましたのは、“谷中七福神巡り”だけが10日で終わるとの情報と参加日アンケートで10日なら参加出来る方が多かった為です。 JR田端駅北口10時30分スタート、私達以上に多い団体さんが旗の元、ぞろぞろと初めの東覚寺(福禄寿)向かって歩いて行くのを見て、今日は混雑していそうと思いましたが、意外と人出は少なく、助かりました。 何人かの方は、巡った思い出に御朱印を頂き、青雲寺(恵比寿)、修性院(布袋尊・・本堂に上がって拝礼)、谷中銀座の夕焼けだんだんを上り、天王寺(毘沙門天)、谷中墓地の中を通り、長安寺(寿老人・・本堂に上がって拝礼)、そこから約1Kmを進んで護国院(大黒天・・人も少なく本堂の戸を開けて中に入り拝礼)、ここから不忍池弁天堂(弁財天)迄、約1Km全部で5.2Kmを2時間15分で踏破(ちょっと大袈裟)しました。 弁財天で拝礼して、昼食のお店を探すこと10分、大戸屋で決まり、9名ピッタリの個室で、ホッと一息でビールと水とコーヒーで乾杯。食事も食べれば、疲れも飛んで。 ・・・・・今年は伊奈地域会、愛の会が良い年になりますように・・・・・       ( 記事:中山世話人)

 

     

6G 伊奈地域会 

       「赤城自然園」バスハイク

平成28年11月8日(火)伊奈地域会 定員12名のバス、満員で群馬県にある赤城山西麓 標高600〜700mに位置する「赤城自然園」に紅葉狩り行って来ました。

 今年は一週間位紅葉も遅れている情報そのまま、紅葉も来園者の為か、一部の楓が自然園を代表して色づいていましたが、他の木々はもう少し時間が掛かるようでした。一番きれいな紅葉を背にしてハイポーズ。 セゾンガーデンから散策開始、四季の森“アカマツ広場”で楽しいお弁当タイム、ベンチに座れば、ちょい底冷えを感じましたが海抜600mではやむを得ず。その後、自然生態園に入り、散策路にある“昆虫館”では其の採集標本の素晴らしさに皆さんビックリしたり、心地よい自然の中を満喫しました。 帰路は道の駅“ふじみ”その隣にある“富士見温泉 みはらしの湯”地下1600mから汲み上げられた関東有数の大深度温泉、泉質はナトリューム、カルシューム塩化物温泉で大古の息吹を感じられる「幻の湯」、露天風呂でそのエキスを体に吸収すべく、どっぷりつかって、身体はぽかぽか、身体も軽くなり、バスの中は賑やかな会話が飛び交い、そして参加費用にも大満足な一日、無事に帰着しました。

     
                          記事・写真:中山6G世話人

                 銀行の銀行  日本銀行本店 見学会

5G 伊奈地域会は14名(男性10名・女性4名)の参加で、平成28年8月25日(木)気温34°Cの中、金融の総元締めであり、現在重要文化財に指定されている日本銀行本館(旧地下金庫エリア、旧営業場、資料展示室)と新館(1階営業場)を見学して来ました。 西門 10:45に到着、11:00からの見学時間に余裕を持って入門できましたが、身分証明書で身元確認、また金属探知機通過等の後、見学は先頭をガイドさん、最後尾はおまわりさんが付くと言う、今迄見学会に多々参加していますが、おまわりさんが付く見学会は初めて、静かな見学会となりました。。 改めて『銀行の銀行』である日本銀行を実感しました。 見学途中の通路両側の壁には初代総裁から、白川総裁までの肖像画が掲げてあり、写真と違い、重みがありました。 地下金庫前にある1億円同等の包みを皆さん持ち上げ≪10K≫「重い〜」と言ってましたが、本物であれば、「軽い〜」になるかもしれません。只、その横にはパレットに積まれた20億のレプリカ、お金が荷物となっているのが印象に残りました。 昼食は、日本橋にある「榮太樓本舗 雪月花」で「そぼろ弁当」を頬張り午後からは、貨幣博物館に入館して、古の時代から使われてきたお金の歴史を知ることが出来ました。 午後2時30分に終了、自由解散し、各々帰路につきました。 (記事と写真:中山世話人)

28年8月7日 「 椋の木」納涼祭ボランティア(第2回)記事掲載(クリックすると見られます../3grupe/Tiku_3.htm

伊奈地域会(6G)

暑気払いのような昼食会を開催

 28年度、伊奈地域会年間計画やっとスタート出来ました。7月28日(木)伊奈町栄にある 台湾料理 “鴻運”で新会員さん2名の方を含め13名の参加(男性:9名、女性:4名)で盛大に(テーブル上の料理)開催されました。伊奈町の端にあるお店の為、初めて入店された方が多く、11時30分から13時過ぎまで、テーブルに隙間なく出された中華料理をあっちこっち突っつきながら、話も盛り上がりました。昼食時間の為か、次々とお客さんが入店して来る為、肝心の地域会に関する話も半分になりましたが、綾瀬川クリーン作戦日程が今年度、10月30日(日)になり、いきいきフェスティバルと日程が重なってしまったこと、また、谷中七福神巡りの日程 1月11日は御朱印が貰えないかも知れないから確認必要などなど、昼食会開催で顔を合わせての懇談、会費もリーズナブルで満足、満足な昼食会でした。 写真・記事 伊奈の世話人

            

活動報告1「講話 呼出しさんのお話」(第5G、第6G合同開催)の記事を掲載しました。
下記をクリックすると見られます。

../5grupe/tiiki_5.htm

いきがい愛の会第6グループ(27−6)

                        平成271218

「日本刀の魅力と謎」講座報告

皆さん本当の日本刀を手に持った事があるでしょうか、“重たい“です。テレビ・映画の時代劇シ―ンで狭い場所で主役が大勢の悪人を身のこなしよく左右上下斜めと刀を振り回してバッタ、バッタと切ってしまう時代劇が好きな人にとっては爽快な気持ちにしてくれますが、本当の刀では相当重さがあり身長と体力太刀裁きが出来ないと早く振り回すことは容易ではないと感じました。今回の講座で刀の原料である鉄・鋼の発祥、刀が盛んに使われた時期、刀の種類、名刀と言われた由縁など。 日本刀の発祥は奈良に始まり完成したのは平安時代後期であるというのが刀剣を学ぶ者の間では定説となっておりそれまでは大陸から輸入された鉄(鋼)を加工した刀剣で直刀であったとの事

鋼材料の調達

 古代の鉄

まず製鉄の起源は弥生時代の製鉄炉が確認されてなく大陸から鉄(鋼)を輸入し国内では加工するに止まっていた。7〜8世紀にかけて律令制が導入され製鉄を担う役所を設けて国家事業となった。このころ鋼の材料(砂鉄)は海岸で採れる浜砂鉄を利用して刀剣を作ったと「常陸国風土記」に記事が残されており、相馬の製鉄遺跡群からは横型炉に踏み鞴が設置されていた跡から後世のタタラ(山陰のタタラ製鉄)に近い形で操業していた記録に残されていたとの事

中世の鉄生産

中国地方の地域で鉄を年貢とする荘園があったとされ、鉄の生産が民衆レベルまで普及し多くの鉄製品が生産された時代とされ、その証とされるのが室町期の対中国貿易で何万本という単位の刀剣が輸出されたとの事。しかし現段階では中世の製鉄炉遺構の発掘事例は極めて少なく鉄(鋼)は大陸からの輸入品が多かったという説となっている。

近世の鉄生産

戦国時代に入ると各大名が富国強兵を掲げ強力な軍事力を備える事に全力をあげる状況になり、中国地方を配下に収めていた毛利氏は鉄の生産「タタラ」を手にすることで強大な軍事力を手に入れた。これには広大な領地から良質な炭と山砂鉄の存在が欠かせなかったとの事

 現在の鋼生産

  現在も稼働する「タタラ」は島根県の山間部に存在する「財・日本美術刀剣保存協会」である。昭和52年に国の補助金、関係者の寄付を仰ぎ操業開始となり、現在玉鋼の製造に努力をかたむけ現代の刀匠に「現代の玉鋼」を分与するよう努めている。ここで使用する原料は山陰地方で産出する真砂砂鉄である。古来より「タタラ」で使用されている砂鉄には2種類ありその一つが現在「日刀保たたら」で使用されている真砂砂鉄、もう一つは赤目(あこめ)砂鉄である。使用する材料は浜砂鉄、山砂鉄、川砂鉄であるとの事

刀の作り方

 刀鍛冶により鋼の折返し鍛錬法といって芯鉄と皮鉄による複合構造にして刃文等の独特な文様をあらわした焼き入れ法、裁断効果等を考慮した反りや鎬(しのぎ)のある姿にする工法によって完成される。緻密な工程をより鍛錬された技術を用い完成品は信頼できると同時に美術的な価値として称賛されているとの事

 国宝指定は100振り以上、重要文化財600振り以上

日本刀の歴史

 上古刀・古刀・新刀・新々刀・現代刀に大別される。

時代による作風

 平安時代期末〜鎌倉時代初期

      主力の刀剣は太刀で総体に細身で腰元で反りが強調され力強い物が流行していた。公家文   化の影響が大きい。

 鎌倉時代中期

      太刀が主流で厚めに作られ派手で豪華なものが流行していた。

 鎌倉時代末期

      太刀と短刀が主役でさらに豪壮な姿に変化

      文永の役、弘安の役(蒙古襲来)による手痛い経験にから

    地鉄肌が素晴らしく日本刀の黄金時代とされている。

 南北朝時代

      戦乱情勢のなか長大かつ豪壮な姿を生むことになった。

      朝廷が南北に分裂し激しい戦う戦乱の時代

 室町時代

      太刀はしだいに廃れ刀が流行

      打刀(うちかたな)と呼ばれ特徴は寸法がやや短めで抜刀術・居合など片手打ちに適した  もの

 桃山時代

      日本刀剣史では慶長(15961614)、元和(16151623)頃をさす。この時代のものを慶長新刀とよんでいる。

      身幅広く、切先が延び豪壮なものが流行していた。

 江戸時代 

      寛永(1624)から文化(18041817)以前

      戦乱がない時代、美的要素が追及された。

 幕末時代

      文政(18181829)】以後で新々刀または復古刀と呼ばれ鎌倉時代の鍛法に戻るべきと唱え現実作られたものもある。

 明治時代

      明治9年に廃刀令が公布された。

刀剣の種類

 太刀・・・日本刀が完成する以前、平安末期以前の直刀(ちょくとう)を太刀〈たち〉という。

 横刀・横剣

      直刀のうち刃長が二尺以上のものを太刀と表現するのに対し、二尺以下の刃長のものを横刀(たち)または横剣(たち)と表現する。

 太刀・・・直刀に対し湾頭(わんとう、反りがある)で刃長二尺以上で刃を下にして腰に吊るもの

 刀・・・・刃長が二尺以上で刃を上にして腰に差すもの

 脇差・・・刃長が一尺以上二尺以下で刃を上にして腰に差すもの

 短刀・・・刃長は一尺以下で刃を上にして腰に差すもの

 槍・・・・突くことを目的とした。寸法的に刃長一尺をこえるものを特に大身槍(おおみやり)という。他に槍本体に加え枝のつく十字槍、片鎌槍などがある。

以上資料抜粋した報告ですが驚いたことに刀鍛冶は代々親子といえども技法を

教えてこなかったとの事、何故か・・・・ と終了し公民館から食事処「川魚

料理 松本」に場所を移し話が尽きず有意義な時間を過ごすことが出来ました。

担当講師  19期ふる伝 小野哲二郎

講座出席者

 18期ふる伝  斎藤 誠  17期地創  橘 嘉主雄

 19期ふる伝  小野哲二郎 19期地創   黒須幸二  

23期地創    山口武志    16期健康  木本朝子 

 専科4まち  白田 丞  専科4郷土  下村登志保

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    刀 長さ(刃渡り)91.6cm・反り3.5cm  抜き身重量 1.850

 無名   菖蒲造り

    刀 長さ(刃渡り)66.1cm・反り2.7cm  抜き身重量  800

 銘文 信農大拠 藤原忠國  切先造り

    脇差 長さ(刃渡り)40.7cm・反り0.9cm 抜き身重量  850

 銘文 竹中大和大拠 国武  菖蒲造り

◎脇差ながら重厚な造りであり、�の刀より重い

愛の会第6グループ(27−5)

                        平成27年11月6日

       泉福寺から旧陸軍飛行学校桶川分校見学報告

 桶川駅改札出口に朝8時50分集合して西口ロータリーにある東武バス川越駅行き9時10分発に乗車して20分程度でバス停柏原につきました。好天に恵まれ最初の見学地泉福寺訪問時間10時には充分時間がありバス停からゆっくり歩く事にしました。バス停から路地に入ると両側に数件の民家がありやがて下り坂を降ると左側に庚申塔があり、その先は田んぼとなって数十メートル先から今度は上り坂を進むとその先に喜倉堂という住民の墓地があります。そこには立派な馬頭観音が祭られて、説明板によるとこの地域は江戸期に荒川に差し掛かる太郎衛門橋付近に河岸が盛かり川越と桶川宿の中間に位置し地域の農耕馬が物資の輸送手段に使われたとの事です。喜倉堂を過ぎ荒川の堤に沿ってのんびり歩いて敷地の広い氷川神社に着きました。ここでは毎年10月上旬から中旬にかけ「三田原笹羅獅子舞」が催されているとの事。起源は江戸元禄時代(16881704)以降盛んになり現在も地域に継承され桶川市の重要民俗芸能となっている事を知り伝統文化を大事に共有している地域だなと感銘しました。 神社前の道から南へ一直線上の道がこんもり茂った森に吸い込まれている、森の入口に左側「東叡山勅願院」右側「円頓坊泉福寺」と刻まれた石門を過ぎ道の両側の木立を過ぎると平安京時代に比叡山延暦寺にならい関東方面に天台宗を広宣する目的で淳和天皇の勅願により慈覚大師が開山したという真に東の延暦寺を思わせるりっぱな本殿である。住職さんは多忙な為挨拶程度で奥様から本殿内部の説明を頂きました。本尊の阿弥陀如来像は国宝との事やその昔住職さんの送迎に使用されたという正にお殿様の籠を思わせる内部に両肘が付いた立派な籠の説明を頂きました。庭にて副住職さんから耐火収蔵庫にある国宝阿弥陀如来像の説明を頂いた。本来阿弥陀堂に安置されていたが国宝文化財保護の観点から耐火収蔵庫に保管しているとの事。阿弥陀堂の屋根には天皇の勅願で開山したお寺という「菊の御門」が目につき正に風格ある天台宗のお寺でした。11時頃泉福寺を出て来た道をバス停まで戻り道路反対側にある旧陸軍熊谷飛行学校桶川分校に向かった。土日祭日以外は休館で誰もいない施設を見学した。事前にガイドを依頼したが団体数に人数が満たしていない為対応ができない旨確認をしてあった。桶川駅に行く次のバス時間にまだ充分あり15分ぐらい歩いて城山公園に向かい天気も良く池に突き出た観覧席で昼食をしながら懇談した。公園近くのバス停溌12時52分に乗って本日の見学終了とした。                            ( 文:黒須幸二)

1 実施日  平成27年10月28日(水)

2 出席者 5名

   18期 ふる伝  斎藤 誠   19期 ふる伝 小野哲二郎

   19期 地創   黒須幸二   23期 地創  山口武志

   専科4 まち   白田 丞

                             

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 旧陸軍熊谷飛行学校桶川分校 案内板 部屋の内部の荒鷲の碑

                        平成27年10月10日

     地域グループ報告(原市の歴史講座2)

 5月に第1回「原市の歴史」を開催いたしました処参加者の皆さんから大変好評を頂き続編として前回同様の講師を招き第2回目をこの度実施しました。 前回は原市の誕生(地名の由来)および市の発祥に係る地理的状況(甲州道、中仙道、日光道、奥州道に繋がる脇街道の交差点に位置している)、往来する旗本たちを桶川宿・岩槻宿へ宿繋ぎ処とする重要性を見極め、幕府から信頼を得この地域を統治していた西尾氏によって市の活性化が図られたなど当時地方と江戸を行き来した旗本達の世話等含め歴史の紐を説いた。

 今回は講座の内容を原市に限定せず周辺地域の状況に関心をもち第5グループ(上尾二ツ宮・上平)、第7グループ(伊奈町)、会員の同窓生等をふくめ18人の参加頂き実施しました。今回は前回の復讐を兼ね原市周辺の「市場」の開催日(原市3・8、桶川5・10、鴻巣4・9、与野4・9、浦和2・7、菖蒲2・7、岩槻1・6、石戸2・7、上尾2・7、小室宿は49戸岩槻往還の左右に民家少く伊奈備前守陣屋周りに商家89軒あった)、売り物は小麦・米・大豆・種子・茶など周辺の市場は同様だったが菖蒲・騎西・羽生・行田など北部では木綿、白布など交易していた。原市における売買は領主に対する年貢は米で治め領主は商人に両替にて手数料引きで金に換えていた。穀物問屋への自作米、小作米の販売、周辺住民への販売もしていた。また江戸との交易は元禄元年(1688年)に荒川(平方河岸)から船を利用し米。大豆等が主体であった、天保年間には井原弥宗兵衛による見沼用水ならびに通戦掘りができ瓦葺からも穀物など船による交易が栄えていた。江戸後期となると次第に市の交易が桶川宿に移っていったとの事である。最後に明治期の原市は29年穀物・問屋は4戸、甘薯・仲買5人、製茶・仲買4人、大正元年市の売上総額67万円との事であり当時生越生糸市場69万円、川越繊維市場88万円、穀物市場62万円と原市は他の地域と比較しても劣らない盛況ぶりをしていたことを学び改めて体に湧き上がる暑い気持を感じた次第です。この研修会に参加して頂いた皆様に感謝申し上げます。

  1 開催日  平成27年9月25日(金) PM2:00〜4:30

  2 場 所  原市公民館

  3 講 師  岸 清

  4 参加者  18名

     18期福環 鈴木 誠  16期ふる伝 斎藤 誠 19期ふる伝 貝塚照代

     19期ふる伝 小野哲二郎 19期ふる伝 樋口典秀

     専4郷土 下村登志保  専5郷土 関根斎二 17期地創 橘 嘉主雄

     19期地創 黒須幸二 20期地創 飽津英雄 21期地層 栃木清二

     23期地創 山口武志 10期生環 金子幸弘 専4まち 石田幸弘 

     専4まち 稲村 浩 専4まち 白田 丞 24期美工 原田淑子 飯沼さん

                                                                     (文:黒須幸二)

 
特別養護老人ホーム「椋の木(むくのき)」納涼祭ボランティア記事を掲載しました。平成27年8月2日 クリックすると見られます。
http://www.ina-ikigai.net/ikigaiAi/images/Tiku-Katudou/7grupe/tiku_7.htm

いきがい愛の会6G

 地域グループ報告(原市の歴史講座)         平成27年6月7日

  原市に生まれ、また移り住んだ私達は原市についてお年寄りに聞くと「親から聞いた話だけれど昔は市が開かれていた!家並みを見れば道路から奥まって家が建っている。その空地で住民が市を開いていた」と聞かされてきました。確かにその痕跡が見受けられるが町の様相が一変し近代化した街並からは想像できません。そこで第6グループは今年度2回目事業として講師を招き「原市の歴史講座」を開催しました。資料によると江戸時代の上尾には吉野領(原市村)、南部領(上瓦葺村)、上尾領(上尾村),大谷領(大谷村)、石戸領(大石村)、平方領(平方村)と領域があった。原市は吉野領内で市が立ち“原村の市場“または“原宿“と称され、この頃が「原市の起源」と想定できる。新座市野火止の平林寺に永禄10年(1567・安土桃山時代)北条家より出された印判状に“原宿“の名前が記された文書がある。また、元禄の改め(1688)には“原市村“と記し側に“原宿“とも記録されている。原市は甲州道日野宿から日光街道岩槻宿・奥州筋へ、中仙道桶川宿から日光街道岩槻宿への脇往還と鎌倉街道と羽倉道の分岐点であったところから、3と8が付く日に市が開かれていた。元禄時代(幕府領)の原市の耕作面積は、畑146町・田40町、石高は1030石であり、領地支配していた西尾壱岐守吉次が市を繁栄させた。また大名の宿継場として大宮宿、桶川宿、岩槻宿へ大名に多くの人足と馬を付けて出していたので幕府から信頼があった。市場であったことが判り「講座」を終え優越感に浸り気持ち良い半日でした。この「講座」に第6グループ他第5グループといきがい大学OBの皆さんの参加を頂きました事に感謝申し上げます、有難うございました。

  1 開催日時  平成27年5月29日(金) 10001200

 2 開催場所  原市公民館

 3 講師    岸 清俊 氏(上尾、伊奈文化保護委員)

参加者

   専4 健康 首籐シキ子 19 ふる伝 貝塚照代 19 ふる伝 小野哲二郎

   19 ふる伝 樋口紀典  専4 郷土 下村登志保23 美工  岡本尚道

   24 美工  原田淑子  17 地創 橘 嘉主雄 19 地創  黒須幸二

   23 地創  山口武志  専4 まち 白田 丞 専4 まち               石田幸弘

   専4 まち  稲村 浩  地元講師  明石光資 21 地創  蔦川忠義 

  専4 まち  斎藤正和  21 柳本清二   10 福祉 金子武司

                                 以上18

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いきがい愛の会6G27-1

                        平成27年4月14日

          地域グループ報告(顔合わせ会)について

    1 実施日    平成27年4月3日(金) AM 10:00

   2 場 所    瓦葺掛渡井「見沼用水(下)綾瀬川(下)交差地点」

   3 参加者    10名

     16期 斎藤 誠  19期 小野哲二郎  19期 樋口紀典

     22期 梅津敏郎  専4期 下村登志保  専5期 下村米子 

     17期 橘 嘉主雄 23期 山口武志   専4期 白田 丞

     19期 黒須幸二

 前日の天気予報では曇りでしたが明けて当日朝8時頃に陽射しが出て明るくなり集合時間(10時)には暑くなりました。上着1枚脱ぎたくなるような陽気になり期待通りの天候となりました。集合場所(瓦葺ふれあい広場)から掛渡井、桜満開の見沼用水散策道をウォーキングして春爛漫を満喫しました。近くにある見沼用水開削記念碑のところで昼食し幹事から愛の会総会の出席依頼と第6グループの今後の活動について説明し和やかな「顔合わせ会」を終了としました。文:黒須幸二)

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第6地区の活動報告

第6班は、7月10日会員9名の参加で「原市の古代ハス」と「原市ふるさとの森景観地」の見学と散策を実施いたしました。

当日は、猛暑のなかニューシャトルの沼南駅に9時に集合して、「原市の古代ハス」池に行きました。ハスの開花は盛りを過ぎていましたが、三分の一程度の開花で、ヒンクの大輪の花びらがきれいに咲き競っていました。ハス池の近くを新幹線の高架が通っていて、新幹線の列車とハスの花の一体化が素晴らしい景観を醸し出していました。ハス池にはブルーベリも実っていて希望者は好きなだけ採って持ち帰ることが出来ました。猛暑の炎天下でしたので、ハス池は30分程度で切り上げ、次の「原市ふるさとの森景観地」に約1キロ程度を炎天下を歩いていきました。「原市ふるさとの森景観地」は、雑木林で中は炎天下を歩いてきた我々にとってほっと一息つくほどの涼しい木陰でした。ここでは、ふるさとの森づくりにご協力いただいている小峰先生のご案内で森の中を散策いたしました。この「ふるさとの森」は、平成24年度から埼玉県と上尾市で整備が開始され、広さは約5ヘクタールで、遊歩道は地元の人々の協力で手作りで進められていまして、まだ一部しかできていませんでした。

小峰先生の案内で雑木林の中を回り、山百合などの野草やウワミズザクラなどの落葉樹、メジロなどの野鳥の説明を受けながら1時間ほど散策いたしました。この「ふるさとの森」が整備された暁には、住宅地に隣接した素晴らしい憩いの場所となり、身近に野鳥・野草など自然に親しむことのできる「地球にやさしい環境」となることを願いながら解散いたしました。

以上

 第6班世話人 16期ふる伝 齊藤 誠


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