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歴史探訪伊奈ウオーキング

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歴史探訪伊奈ウォーキング

平成271020日(火)930分、伊奈町無線山桜並木南側入口に参加者28名が集合して、好天のもと歴史探訪伊奈ウォーキングを実施した。この企画は、昨年雨模様で中止となったリベンジで、無線山を起点に町名の基となった伊奈氏の屋敷跡や、願成寺、法光寺などの史跡を巡るコースで、案内を伊奈町観光協会ボランティアガイドで「備前の里歩こう会」を主宰する飽津英雄氏にお願いした。早速、飽津氏の指導で身体をほぐすストレッチ運動を行ってから出発。新築された埼玉県立がんセンターの西側を大きく半周し、廃屋となった旧がんセンターを横目に見ながら新都市交通丸山駅へと進み、ここで小休止。さらにシャトル路線沿いに原市沼まで南下して高架橋をくぐり、反転北上していよいよ「裏門跡」から伊奈屋敷跡に入った。伊奈忠次は、天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入国するにあたり、これまでの功績によって武蔵野国小室と鴻巣に13000石を賜り、翌年には泥深い湿地に囲まれたここ小室丸山に陣屋を構え、代官頭として関八州の天領を治め、検地の実施、新田開発、中山道その他の宿駅の整備、備前堤・川島大囲堤の築堤等に大いにその力量を発揮した人物である。その屋敷跡は、東西約350m、南北約750mの規模で、土塁が各所に良く保存されているほか、物見櫓跡や見通しを悪くするためにわざと折り曲げた道とともに、表門、裏門、蔵屋敷、陣屋などという呼称が残され、「頭殿社」いう小さな社が原市沼の崖(土塁)の上にある。なお、「裏門跡」から最南端の「表門跡」を抜けるまでの所要時間は概ね30分であった。次に、上尾市境となる「境橋」を渡らずに、綾瀬川の洪水の調整池として造られた「下の池」の広さに驚きながら、願成寺に向かう。この寺は、伊奈熊蔵忠勝の墓がある。忠勝は忠次の孫にあたり、元和4年(1618)父忠政の病没によって遺領を相続して当主となったが、翌5年に病のため若干9歳にして急逝し、関東代官頭の要職は赤山(現川口市)に伊奈家別家を創設していた叔父忠治に受け継がれた。ただし、忠勝の没後、名門伊奈家の断絶を惜しんだ幕府によって、旧領のうち小室郷一円の地が忠政の末子忠隆に与えられ、小室伊奈家として復興したのである。次に、願成寺から北上すること約10分。最後に訪ねる法光寺の山門前に予定時間の12時ジャスト、全員が6.5kmを完歩して到着した。既に山門奥に見える本堂ではご住職がお待ちのご様子であるが、チョッと失礼して門前で記念撮影。改めてご住職にご挨拶もほどほどに客殿に案内され、各自持参のお弁当、おにぎりを食し、果物、菓子などを分け合いながら和気藹々と懇談したあと、ご住職から寺の歴史や伊奈氏との関係などの話をお聞きすることとなった。ご住職は、最初は「30分程度」と言われていたが、創建された平安時代延歴10年(791)の征夷大将軍坂上田村麻呂との関わりに始まって、太平洋戦争中には東京日本橋の小学校の疎開児童を受け入れたところまで、1200年に及ぶ長〜い有難い話でありました。さて、今回の歴史探訪ウォーキングに、残存する歴史的構築物も少なく平凡なコースであったとの評価がもしもあるとすれば、この地で伊奈忠次公をはじめ武士や多くの農民がいきいきと暮らす往時の姿を想像しつつ、色づき鮮やかな柿の実を眺めながらのんびり歩いていること自体、大切にすべき意義と再確認したのは自己満足であったでしょうか。最後に、ご案内をいただいた飽津英雄氏には、コースの下見、資料の作成、印刷等々大変お世話になりました。この紙面を借りて御礼を申し上げます。参加されたみなさんのご協力、誠にありがとうございました。                                                      (文:大塚、写真:鹿島)

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法光寺の山門前で記念撮影

 

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